fuga A.O ~HIP HOP BLUCE MAN~

ラッパーでハーモニカ吹きのfuga A.Oのブログ

2018-01-01から1年間の記事一覧

fuga A.Oの半生 ~第51章~

まずは仕事の話しから、2018年4月から異動した。異動と言っても昇格異動だし職場は隣の駅に移っただけ通勤時間は一駅変わっただけだと電車の快速が止まらない駅だったので、短くはならないし長くもならない。 一番戸惑ったのが仕事のやり方の違い、考え方の…

fuga A.Oの半生 ~第50章~ 

2018年、遂に今年に追い付いた。40年の歴史はブログたったの50回で語られる程だった。 そんな人生が浅いか深いかは自分で決めるものでもないし、他人が決めることでもない。 もちろん文字に起こせない経験もあるし、言葉で説明できない、写真には写らない成…

fuga A.Oの半生 ~第49章~ 

今回は2017年リリース作品や参加した作品、作った曲などを紹介しよう。 とは言っても少ないが、、まずHASHI-WATASHIのアルバムCalling Tag の10曲目 Afterにfeaturingとして参加! HASHI-WATASHIとは多くのMCバトルで活躍するMCの瑞雲を擁する2MC1DJ "HASHI-…

fuga A.Oの半生 ~第48章~ 

もう2017年の話しになる、ブログ48話目にして40年近い人生が語られるんだから、まあ薄い半生なのだろう。 自虐的になるのは置いておいて、話しを進めよう。近年になってくると特に大きな出来事はない、、相変わらずライブは月に一回もしくは2ヶ月に一回くら…

fuga A.Oの半生 ~第47章~ 

コンピレーションCDを製作し8月にはリリースパーティーをした。 少し前から仕事で190センチで「かいわれ」みたいにやせた人が入ってきて、たまに自分と間違われていた。 それがいやだった!職場仲間はフォローとしてコタ(fuga A.O)が「もやし」なら奴(190セ…

fuga A.Oの半生 ~第46章~ 

事故から復活してfuga A.Oと名乗り2013年からは月に一回ペースでライブをしていた。そして仕事とブログでの小遣い稼ぎなどで日々は過ぎた。 そして2016年から製作したのが KABOOKEY HIP HOP 日本語ラップのコンピレーションCDだ。宣伝文句はこれ↓ 「TAKUMA T…

fuga A.Oの半生 ~第45章~ 

初めて自分が企画したコンピレーションCDを作った頃は足掻いていた。今回はリアルガチのかなり切実な現実を書く。 コンピレーションCDを作った頃というか事故って店を閉めてから今(2018年11月)に至っても足掻いている。どうにしかして自分の資金を増やして、…

fuga A.Oの半生 ~第44章~ 

スタジオでのパーティーは意味のあるものだったと思っている。 スタジオパーティーが終わり、市川さんと話していると「全員かっこよかったね、このメンバーでコンピCD作ろうよ!」と言ってくれた。そんなわけでコンピレーションCDを作る決意を固めた。コンピ…

fuga A.Oの半生 ~第43章~ 

骨折療養中を無駄に過ごしてきたわけではない。絶望に打ちひしがれてただけじゃない。 絶望を乗り越える方法がない事は知っていた。 絶望が訪れても、人間はこうするしかない。ただ 歩き出すだけ! だからリリックを書いたしアフィリエイトをかじったり、更…

fuga A.Oの半生 ~第42章~ 

金銭面のどん底は続いた。 店をしていた頃は小遣い制だったが、会社勤めをしてから、小遣いもくれなくなった。喉が渇き小腹が空いても何も買えずに我慢した。ネットオークションで服を売ったり、骨折療養中にアフィリエイトに手を出して自己アフィリエイトで…

fuga A.Oの半生 ~第41章~ 

店は閉めた、夢は終わった。。 しばらくは悔しくて悔しくてやるせなかった。 しかし、家にただいても仕方ない。それに金を稼がないと生活がやばい、借金もある。働かなくてはならない。職を探し始めた。そして活動休止をしていたラップを書き始めていた。 そ…

fuga A.Oの半生 ~第40章~

2012年4月後半通勤中にスクーターで居眠り運転し停車中のバスに追突。100%こちらが悪い状態で事故り、右足脛骨骨折。スネの骨ね。 あと膝が切れてたので当日に縫った。 不幸中の幸いは脳に影響はなく、人もひいてなかったこと、バスもたいして壊れていなか…

fuga A.Oの半生 ~第39章~

2012年は年を明けてから真面目に店を経営していたと思う。新商品の開発、営業終了後は自作のチラシを配ったり、Webでの集客も無知ながらも頑張った。 しかし、さすがに疲れが溜まっていた。溜まりすぎていた。今考えればもっと良いやり方があったのだが、応…

fuga A.Oの半生 ~第38章~

2010年は開業の年、そして12月には初めての娘が産まれた年だった。 2011年もジリ貧ではありながらも営業を続けた「いつか売れる!」と信じて。そして日本人なら忘れもしない 3.11がやってくる、、店の営業時間は12時-15時で一回店を準備中にして休憩し17時-2…

fuga A.Oの半生 ~第37章~

独立開業した。 2010年6月弱冠31歳での開業だった。 間違いなく売れる!繁盛する!そう信じていたのでハローワークからきたアルバイトは3人も雇った。万全の体勢でオープン。 初日はスープの調子もよく、客の入りもかなり良かった、しかしチャーシューやラ…

fuga A.Oの半生 ~第36章~ 

物件を直感で「これだ!」と思ったら、もう決めてしまっていた。元焼酎バーの跡地、商店街には近いがメイン通りからは奥まっている、駅からは8分とかなり歩く。店の前に路上駐車するスペースもほぼない。今まで見た物件があまりにも理想からかけ離れていたか…

fuga A.Oの半生 ~第35章~

2009年一年間のソロラッパー活動は思ったよりも良かった。ライブも何だかんだできたし、ソロの曲も増えた。しかしラーメン屋を独立開業する為にライブ活動の休止を決めた。ライブはオールナイトのイベントが多いし、疲れもたまる。 曲の練習もしないとならな…

fuga A.Oの半生 ~第34章~ 

2008年末にE-TRADERは活動休止となった。 2009年からソロラッパー A.O(from E-TRADER)として活動すると決めた。早速2009年の1月にはライブをしたが、覚えたての曲と1人でライブをする事の大変さを思い知った。 この頃から仕事での独立願望が強くなっていた…

fuga A.Oの半生 ~第33章~

2008年といえばその時のA.Oは29歳、11月には30歳になる。 2008年の大きな出来事、まず一つは2005年から三年続いたイベント輪派が終わった。 もうすぐで四周年ってところで終わった。最後はyokohama LOGOSで隔月日曜日のイベントといえばE-TRADERやJAG-Zの出…

fuga A.Oの半生 ~第32章~ 

2006年は仕事を本格的に始めて規則正しい生活を普段はしていた。 6時には起きるので0時か1時には寝ていたし、体調にも気を付けていた。 たまにオールナイトのイベントがあるのでその時は気合いで乗り切った。 オールナイトのイベントは3時とかに帰って仮眠…

fuga A.Oの半生 ~第31章~

就職先を探した、カフェバーを中心に探したが理想の条件には当てはまらず、途方にくれていた。 ある日以前アルバイトで働いていたラーメン屋に食べに行き、世間話しをしていると「じゃあウチで働かないか?」と誘ってくれた。 後日正式に詳しい条件などを聞…

fuga A.Oの半生 ~第30章~ 

アメリカへ行く前くらいからラップに対する考えは変わってきていた。ラップを本格的に始めた頃はラップ一本で飯を食うんだ!!そんな思いが強かった。 しかし、ヒップホップは生活の一部という考え方が強くなっていたのだ。1stアルバムがまぁまぁ売れて製作…

fuga A.Oの半生 ~第29章~

アメリカ滞在は2週間の予定だった、タクマは1ヶ月近く滞在すると言っていた。色んな場所に行った、有名な観光地とかは行かなかったけどロスの渋谷みたいな街だよと言われたサンタモニカや、ハリウッドの近くの街などにも行った。サンタモニカではバケツド…

fuga A.Oの半生 ~第28章~ 

E-TRADERはアメリカ武者修行のつもりでトニーのいるLAに向かった。トニーはJurassic5やFreestyle Fellowship(フリースタイル・フェローシップ)【両者とも有名なラップグループ】などを知っている! と話していて、俺らE-TRADERにアメリカでライブやってほ…

fuga A.Oの半生 ~第27章~

2005年1月から行った路上販売は数回で終わった。 しかし好機はまたやってくる。。その前に触れておかなければならない事がある。リリースパーティーだ。リリースパーティーを開催した場所は今はもうないが、横浜元町商店街にあったBar why notだ。イベント…

fuga A.Oの半生 ~第26章~

26 E-TRADERの1st Albumは2004年12月末に発売開始した。まずは友達に売った、そして渋谷タワーレコードに行ってみたら、、何と置いてあった!しかも視聴機に入っていたのだ。他にも横浜のタワーレコードにもあった。これはブチあがった。 HMVにはなかったの…

fuga A.Oの半生 ~第25章~

2自作CD-RはMTRにマイクを刺して片手で持ってレコーディングしていた。 当時レコーディングの仕方を知らなかったのもあるし、ストリートのHIP HOPは自主製作で音は汚くてもオッケー!みたいな身勝手な考えもあったのであまり音質についてこだわっていなかっ…

fuga A.Oの半生 ~第24章~

fuga A.Oの半生2003年頃。 E-TRADERで活動していたころの話し。 超自作のCD-R「疾走するMessage 」 は500円で100枚くらいは売れて多少自信もついた。 ちょうどそのころに運命的なラッパーと出会った。そのラッパーとはKEBI-ISHI(ケビイシ)だ。日本語ラップに…

fuga A.Oの半生 ~第23章~

fuga A.Oの半生、まだ2003年くらい。 2MC と1DJ兼beat makerになったE-TRADER しかし、勢いは止まらなかった。初めてのミックステープ参加でお世話になったレボリューションレコーディングから「コンピレーションCDに参加しないか?」そんな声がかかった! …

fuga A.Oの半生 ~第22章~

E-TRADERが参加したミックステープにはMC Battleのブームが背景にあった。2002年の夏 B-BOY PARKのMC Battleに 自分はA.O a.k.a.赤鬼で 参加した。 結果はもちろん予選一回戦負けだが川崎チッタの大舞台で一対一の勝負は度胸ついた。その年は漢対般若の壮絶…