E-TRADERが参加したミックステープにはMC Battleのブームが背景にあった。
2002年の夏 B-BOY PARKのMC Battleに 自分はA.O a.k.a.赤鬼で
参加した。
結果はもちろん予選一回戦負けだが川崎チッタの大舞台で一対一の勝負は度胸ついた。その年は漢対般若の壮絶な決勝の末漢が優勝した。
その年2002年はエミネムの主演映画8mileが流行して日本でもフリースタイルのブームがきた。
しかし、ブームの前からB-BOY PARKではMC Battleをしており、キック・ザ・カン・クルーのKREVAが三連覇するなど強さを示していた。
三連覇を達成したその年にラッパーのHIBIKIがMC Battleで高い評価を得て、ヒビキ監修のミックステープ Revolutionシリーズが発売された。
その繋がりもあり、E-TRADER参加のミックステープにもHIBIKIは参加していた。
本格的なレコーディングスタジオでエンジニア付きでのレコーディングは人生初だった。
その場所は今もfuga A.Oが足しげく通うレボリューションレコーディングスタジオだ。
テープのリリースパーティーなども経験しライブも増えた。
そこで初めて知らないB-BOYに「E-TRADERのファンです!」と言われてうかれていた事はハッキリと覚えている。
そしてフリースタイルで有名だったHIBIKIからの誘いの電話があった「レボリューションvol.3に参加しないか?」もちろん参加させてもらった。
レボリューションvol.3は2003年5月くらいに発売されていた。
こちらは自分で買った。
ありがたい事に参加費もかからなかったが、いくら売れたかは不明でもちろんバック(あがり)はなかったが、こちらとしては知名度が上がるだけで嬉しかった。
そんなこんなでE-TRADERのライブは東京、神奈川と場所を広げていった。
この頃、E-TRADERの発足人ともいえるZ-ONEが色んな意味で追い込まれていた。
まずラッパーの先輩から追い込まれるようなっていた。それはZ-ONEだけじゃなくE-TRADERグループ全員にも言えた。
どこそこに、こい!や何何をしろ!
や誰誰と付き合うな!
などだ。
Z-oneは仕事も忙しそうで精神的に参っていてラップにも少し陰りがでてきたようだった。
そして2003年夏頃に脱退。
2MCと1DJのE-TRADERとなった。
■■続く■■