fuga A.O ~HIP HOP BLUCE MAN~

ラッパーでハーモニカ吹きのfuga A.Oのブログ

fuga A.Oの半生 ~第24章~

fuga A.Oの半生2003年頃。
E-TRADERで活動していたころの話し。



超自作のCD-R「疾走するMessage 」
は500円で100枚くらいは売れて多少自信もついた。


ちょうどそのころに運命的なラッパーと出会った。

そのラッパーとはKEBI-ISHI(ケビイシ)だ。

日本語ラップに詳しい中年なら知っている人もいるかもしれない。

2002年
M.V.P OF HIP HOP ARTIST”
KEBI-ISHI として売り出されたラッパーだ。

KEBI-ISHIは2002年にアルバム
利口な暴徒 RICO na BOTO
を発表した。
そのCDのライナーノーツには

「2002年、M.V.P OF HIP HOP ARTIST”KEBI-ISHI”野性と理性を自由自在に操る彼のやり方はまさに「利口な暴徒」HIP HOPを愛する者を決して裏切らない彼のフロウは死ぬまで忘れら
れない。」

とある。


イベントで数回出会いケビイシが次第にE-TRADERの実力を認めてくれて、仲良くなっていった。

当時インターネットがようやく普及されてきて、一家にパソコン一台時代が到来していた。

そのインターネットを巧みに利用していたのがKEBI-ISHIだ。

ケビイシは日本語を日本語として聞かせないような独特の日本語の発声と発音、言葉の区切り方やフローでオリジナルなラップをしていた。
彼はそのスキルをこう呼んだ。

「ライトサイドスキル」

ライトサイドとは右側の脳を刺激するという意味だ。言葉で考えさせるより右脳を直接刺激する音としてのラップを追及した。




ちょうど、その頃にとあるグループともであっていた。
それがying yangだ。

イッシワンとサガと言えば分かりやすいだろう。特に現在のイッシワンの勢いは凄まじく国内ナンバーワンスキルの持ち主とも言われている。

2003年に横浜サーカスで出会い、後日すぐにE-TRADERのライブを渋谷のロックウエストまで遊びに来てくれて、更に数日後に2003年B-BOY PARKでも会った。


彼らying yangのスタイルは当時からずば抜けてクールで日本語を英語のようにリズミカルにフローして更に英語も織り混ぜてラップしていた。

インヤンに影響されたE-TRADERはそれまでこだわっていた押韻スタイルにプラスしてリズミカルなフローを取り入れた。



そのリズミカルかつ押韻のスタイルに目をつけたのがケビイシだった。


ケビイシは当時からインターネットの可能性に目を向けていて、あるサイトを運営していた。
それが「韻種.com」(インタネ ドットコム)だ。

韻種は数人のラッパーが所属していて、当時としては珍しいフリーダウンロードサイトとして存在した。

メンバーは
KEBI-ISHI、MC MUG
naughty tongue
ビブロス 
右京 
などのメンバーがいてそこに、E-TRADERも加わった!

これは全国にも名前を広げるチャンスだった。


この韻種.comに加入した事は大きかった。

ちなみに、韻種.comは後にPA-ZOHやDiceも加入して勢いがあった。

しかし、もうサイトは存在していない。


そんな仲間の後押しもあり、
E-TRADERはオリジナルのアルバムを自主製作で作る事を決意した。










■■続く■■