E-TRADERはアメリカ武者修行のつもりでトニーのいるLAに向かった。
トニーはJurassic5やFreestyle Fellowship(フリースタイル・フェローシップ)【両者とも有名なラップグループ】などを知っている!
と話していて、俺らE-TRADERにアメリカでライブやってほしいから来てくれ!
と言われたのでかなり期待していた。
アメリカにむかう際にトニーの友達のタイって奴とも日本で知り合っていて、タイの母親が客室乗務員だったのでスタッフパスという裏技で行き帰り30000円でいける!しかもビジネスクラス!との話しだったので金銭的にも楽だった。
実際スーツを来て空港に向かった
E-TRADERのA.OとJAPMAN。
自分A.Oはスーツだったのだがなぜかファッション性を出す為にスニーカーでいったのだ。
スーツにハンチング、スニーカーの格好だ
そしてビジネスクラスに乗ろうとすると、、スニーカーはダメ!と言われなくなくエコノミークラスで向かった。
さて
アメリカに到着した。
空港までトニーが車で迎えにきてくれた。
とりあえずトニーの地元を回り腹ごしらえ、ビックなサンドイッチにびっくりしつつ堪能。
トニーの家は平屋一戸建て、弟のニックとダディとママの四人暮らし、ダディはキャンピングカーで仕事に出歩く事が多かったので数回しか会わなかったがとても良いオヤジさんだった。
まずトニーの家に入るとビリヤード台がありゲームセンターと同じゲーム機があった。
カッコ良い、、
裏庭にはバーベキューコンロがあり、トニーは自分の部屋のトイレ(っつてもそこそこ広い)で○麻を栽培していた。ww
土日は誰かしらの家に集まり仲間達とパーティー。
トニーの友達にはラッパーが二人いたのでそいつらと集まればフリースタイルセッションなどして面白かった!
パーティーではトニーの家で豚肉のしょうが焼きなどを作って食べてもらったり楽しんだ。
トニーは当時大学生だったので平日は授業がある。
平日の午前中は本当に暇だった。。
歩いてビーチに行ける距離なのでビーチに行ってただ眺めてたり、ひたすらゲームをしていたり、リリックを書いてみたり。。
そして、どうやらjurassic5やフリースタイルフェローシップを「知っている」と言ったのはただ単にアーティストとして知っているだけだった。
そして、アメリカでライブはしてほしいが、別にブッキングしてくれてたわけではなかった。。
しかし、最大の目標はLA undergroundの最大と言われていたサイファー(即興ラップの輪)が毎週木曜日に決まった場所で行われていた、それがProjected blowed(プロジェクトブロード)だ。
プロジェクトブロードは10年も続いていたイベントでショーケースのイベントの時もあればDJイベントの時もあるが毎週盛んなのはサイファーだ。
自分らはprojected blowedのCDを日本でゲットして予習していた。
トニーは何回かプロジェクトブロードに行った事があり、連れて行ってもらった!
まさにここ
この場所だった。
この場所にご覧のような人数、、いや見物人や怪しい奴を含めれば20人~30人はいた。
店の前に乱雑に駐車して車のスピーカーからインストを流して多くのラッパーがラップをしていた。
凄い!迫力!!
何個か輪ができていて、人気がありそうなラッパーの周りは輪がでかい。
自分はプロジェクトブロードには二回行ったのだが、一回目は異様な雰囲気と恐怖と酔っぱらっていたのでフリースタイルサイファーには参戦できなかった。
一番の理由はやはりびびっていたから。
しかし相方のtakumaは一回目から小さめのサイファーにトニーと共に飛び込んだ!
トニーが言うには日本人で初めてプロジェクトブロードのサイファーに飛び込んだ男だ!
ちなみにTakumaはアメリカに来てからMCネームを変えた、JAPMANから本名のtakumaに変えた、アメリカで自らを日本人の差別用語(Jap)と名乗るのは変だから、、と
そして2回目のプロジェクトブロードでは自分も参戦!周りの黒人達は日本語などわからないのだからポカーンとしていたので自己満足だが勇気は出せた。
日本でゲットしていたCDに出ていたラッパーもいたし本場のサイファーを体験できたのはとても大きな経験になった。
一緒にサイファーを聞いてくれた奴ら二人にCDを渡した。
アメリカにもCDを少し広げられたのもかなり収穫だ。
アメリカでの出来事を全て書く事はできないがヒップホップ的活動といえばプロジェクトブロードのサイファーに参加した事が大きかった。家でやるサイファーも面白かった。
トニーの友達のビートメーカーからオリジナルトラックももらい、それも収穫だった。
■■まだアメリカ編少し続く■■