アメリカ滞在は2週間の予定だった、タクマは1ヶ月近く滞在すると言っていた。
色んな場所に行った、有名な観光地とかは行かなかったけどロスの渋谷みたいな街だよと言われたサンタモニカや、ハリウッドの近くの街などにも行った。
サンタモニカではバケツドラムをストリートパフォーマンスしてて、日本では見たことなかったから「かっけー」と思った。
フォークロックのバンドも見たしDJバーも行った。
アメリカでは本場サイファーに参加したのが大きな収穫だったが、ラフに楽しむトニー達から学んだ事は遊び心だった。
元々ヒップホップは外で行われたブロックパーティーが発祥、つまりは遊び心が生んだ文化でもある。
遊んでなんぼ!
楽しんでなんぼ!
そう思った。
そしてヒップホップにおいては日本語でも英語でもフローが素晴らしいと盛り上がるのでフローを磨こう!
と思った。
CDを何枚か買って洋服も何着か買い、ビジネスクラスで帰れるようにブーツも買った。
トニーの友達のDJグレーブってやつにはオリジナルトラックももらったし、アメリカの音楽をあげる!とかいってDVDに1000曲くらい入れてくれた。
そんなこんなで帰る日だ。
空港まで送ってもらい1人で飛行機を待った。
しかし、、「no sheet」満席で乗れない!
とかいう!!
company passでは空きがないと乗れないとのことだ!!!
そして1人途方にくれた。
トニーに連絡して待ったが奴だって予定があるのだから1人で7時間くらい待った。
次の日も挑戦するが、、満席です!
と
もう 頭きて チケット買って帰る!!
ことにした。
しかし成田行きは売り切れ、関西空港ならある。しかも往復券しかなくて10万円、、
買ったよ、、、
バイトも入れてたし、イライラして待つのは嫌だったからね。
アメリカでは忍耐強さもゲットした。
そして1人で何時間も英語空間をさ迷ったので「火をかしてくれ」とか「バックを無くした!」とかトラブル英語とトラベル英語もその二日間は上達したw
もう忘れたけどね。
そして帰国。
アメリカで学んだ遊び心を胸に新たなアルバムを作り始める決心をしたのである。
■■続く■■