アメリカへ行く前くらいからラップに対する考えは変わってきていた。
ラップを本格的に始めた頃はラップ一本で飯を食うんだ!!そんな思いが強かった。
しかし、ヒップホップは生活の一部という考え方が強くなっていたのだ。
1stアルバムがまぁまぁ売れて製作費を取り戻し、更にプラスの利益になった事は自信になったし、バイト代プラスCDの売り上げが収入として入りかなり嬉しかった。
それで「普通に仕事してCDが売れたら収入になるのもいいな」とも思い始めたのだ。
韻種のケビイシも似たような考えを持っていたので、その影響も強かった。
アメリカでも先生をやりながらラップ活動をしているasheru & blueblackや
デトロイトのラップグループstarving artists crewなども仕事は別でしながらラップをしていることをしり、他に仕事をしながらでもラップで売れる事は可能なんだ!と思うようになった。
そして、バイトで料理を少しづつ覚えていたので(自分の店を持つ!)事が夢であり目標になっていた。
その店とはライブもできるカフェバーのような店で自分も自分の店でライブをしたり、CDを売ったりしたらラッパーと社会人が両立できる!何よりも楽しそうだ!
そう思ったのだ。
アメリカにいく前に調理師免許の資格試験を多分その頃に受けた、自分で店をやるのに便利だと思ったし、22歳から26歳までフリーターをしていたので何か資格くらい持たないと、、そう思ったからだ。
そしてアメリカへ2週間滞在してラフにラップに取り組むトニーやその仲間達を見て、「ラップ一本で食ってく!俺にはこれしかねえ!」という考え方は薄くなった。
今思えば、それも良し悪しだったな。。
少なからずラップに対する研究心や熱血の時間はへる、、仕事を本格的に始めればそれだけラップに割く時間は減るのだから。
スキルアップのスピードは減るだろう。。
だが当時は仕事と両立スタイルをしよう!と思っていたのでそれはそれで良かったかもしれない。
帰国後、すぐに就職先を探した。
調理師免許も合格して調理師の資格は得た。
目標を達成するには金を貯める事も大事だし、、
就職をする大きな理由があった。
それが結婚だった。
2001年から付き合っていた彼女と結婚する動きになっていたのだ。
そんな流れもあったので就職しなくては!という思いもあったのだろう。
■■続く■■