今回はあまり話しは進めないがラッパーの活動以外の意外な一面を紹介する。
駆け出しのラッパーは普段何をしているのか?
普通の生活をしている人達にしてみれば、ラッパーなんて社会に出たら、めったにいない。
もし、いたとしても「私はラッパーです」と名乗る人ばかりではない。
かくいう今の自分もそんな状態で職場では自分がラッパーだという事を知る者はかなり少ない。
隠すつもりはないので聞かれたら答えるが、自ら「自分!ラッパーす!」なんて言う人はあまりいない、、が若い人が集まる職場で若手時代ならば自分から公表する人も多い、自分もそうだった。
なぜなら、それで興味を持たせて一回でもライブに来てもらいたいから、CDを買ってもらいたいから!
こんな具合で身近にラッパーがいる人は「ああ 普通に働いているんだ、、」と思うだろう。
夜中のクラブでライブをして昼間は寝て夜勤するラッパーもいれば、朝から働いて夜にクラブに行くラッパーもいる。
夜勤のラッパーの場合、突然クラブに行く事が出来ないデメリットがある。
一方昼間働くラッパーなら「明日ライブできる?」と言われても、無理すればできる場合があるので、どちらが良いかは人次第だろう。
それにラッパーのライブだって毎日あるわけではないから朝から働くラッパーは意外に多い。
ラッパーに憧れてる人にはある意味聞きたくないリアルで、ラッパーにしてみれば聞かれたくないリアルかもしれないラッパーアルアルがある、、
「ステージ上で、朝まで酒飲んで盛り上がろうぜ!!」
と
客席を煽るのだが、そのラッパーは次の日の朝、、というかクラブ閉店後二時間後から出勤などというパターンがよくあり、、
「今、酒飲むと今日の仕事ヤバいす、、車だし、、車なんで早めに帰ります、、」と切り出し、3時くらいに帰る。
それならまだ良い、12時前に帰る奴らもたまにいる。
学生ラッパーは「学校あるので、、」と学業もあるのだから夜通し毎晩遊ぶわけにはいかない。
これがリアル。
いやいや!
ストリートビジネスとラップだけでやってる奴もいるよ!
そんな奴も極わずかにいるかもしれない。
アメリカのストリートギャングのように、草を売ったり夜の店(キャバクラやホストなど)のボディーガードや借金の取り立て等、、グレイもしくはブラックな仕事をして生活をして、夜はラップする。
そんな奴は、本当に少ない。
、、多くのラッパーはギリギリの生活を強いられていた。上手く稼いでやってる奴やパチンコでバッチリ稼いでるラッパーもいるが、ほとんどが自腹を切り、金欠と戦いながらラップをしてる奴が多い。
そんな無理をしてまでライブをする意味とは?そんなにラッパーのギャラって良いの?ギャラってでるの?
と思うかもしれない。
いやいや
駆け出しのラッパーにギャラなど皆無。
むしろノルマをかけられて集客に必死になる。
集客数が足りなかった場合は自腹でチケット代を払う。
これが月に何回もあるとかなりきつい、会場までの交通費、出歩くとなると腹が減る、お酒を飲む場合もある。
ライブハウスのノルマなどはかなり多いので1人で活動するラッパーなどは火の車になる。
2000×15枚などの場合
極端な話し一人も呼べなかった場合は三万円払わなければならない。
つ、ま、り
若手の駆け出しラッパーは
ライブへ行けば行くほど金がなくなるのだ。
じゃあ、なぜやるのだ?
答えは簡単だ
面白いから!
それに、つきるだろう。
現場に行けば仲間が増える、ファンになってくれる人達も増える。
いわば自分への先行投資だ。
これが嫌で辞めるラッパーも多い。しかしCDや音源を出して活躍すればそれなりに金額が帰ってくるラッパーだっている。
ちなみにラップだけで生活している人はごく一部。
アルバムを2~3枚出しているラッパーも普段は正社員だったりアルバイトをしていたりする。
最近では人気テレビ番組があるのでコンスタントにテレビに出ているラッパーはそれなりに稼いでいてラップだけで生活しているだろう。
そんなわけでE-TRADERの初期メンバーが当時何をしていたか?
結成当時の状況を軽く書こう。
Z-ONE は16歳高校二年生、会場設営だったからその関係の補助的アルバイトをしながらラップもこなしていたが、高校中退。
JAPMAN は14歳中2からスタート、親の小遣いやお年玉でしか収入はないので無理させられなかった。しっかりと中学は卒業した。
赤鬼(A.O) 22歳のフリーター。
当時はラーメン屋でアルバイト。その後日雇いバイトやイタリアン、洋食屋や居酒屋などで食いつなぐ。
DJ cover 19歳の大学生、アルバイトを自宅の近くでしていた。長崎チャンポンのリンガーハット。
A.Oの車でクラブに向かう事が多かった
E-TRADER
全員を車で送るとかなりの時間がかかった。
四人揃って活動といえば月に2~3回、多い時は5回程ライブ、週に一回は会って新曲を作ったりレコーディングしたりする生活をしばらく続けた。。
DJ coverが加入してからほとんどオリジナルトラックでライブをしていた。
DJ Coverがかなり良い雰囲気のトラックを作った、当時カバーが使っていた機材が王道AKAIのMPCだったから音圧もあり、渋いしかっこいい。
dJ premierのようなNYのHIP HOPのようなトラックを作っていた。
A.Oのトラックはシーケンサーだったので軽いダンスミュージックのようなビート。
それにラップが乗っていたので何とかHIP HOPだったがカバーのトラックはビートだけで間違いなくヒップホップだった。
今回は話しはほとんど進めてないが、駆け出しのラッパーやラップグループの内情を知らせる事も大事だ。
■■続く■■