fuga A.O ~HIP HOP BLUCE MAN~

ラッパーでハーモニカ吹きのfuga A.Oのブログ

fuga A.Oの半生 ~第12章~

fuga A.Oの半生

むしろfuga A.Oの人生は1999年バンドを結成した時から始まった。


その前までは本名の巧記の人生、しかしそれまで積み重ねてきた人生がラップに、音楽に投影されるんだから、アーティストは一度アーティストになったら、アーティストになる前からアーティストだったと思う。


さて、ちょいちょい練習をして曲を作ってを繰り返し曲が5曲くらいになった。

1曲4分くらいで喋りを入れれば30分くらいになる。

ライブをする事になった。

先輩のバンドの回りはCDデビューしてる奴らもいて、オムニバスにだけ参加してるバンドとかもいた。

とにかくそんな連中がカッコよくて羨ましかった。

自分もああなりたい!
せめてオムニバスでCDだしたり雑誌に少しでも良いから載りたい。最初の目標はその程度だったと思う。


音楽をやり始めた時に音楽で飯を食う!

、、とまでは思わなかったかもしれない。



なぜならCDを出してるハードコアバンドの連中も音楽で飯を食えてなかったのを知っていたから。

一方でラッパーは一握りだがラップだけで飯を食えてるラッパーが日本にも増えていた。

バンドで曲を書き進めるにつれて、ヒップホップのトラックにもあわせてリリックを書いていた。ミクスチャーのラップも良いが、やはり中3から聞いていたヒップホップをやりたくなっていたから。

それと同時にターンテーブルも購入した、リズムトレーニングにもなるしインストがたくさん聞けるから。



そんなこんなでバンドと自宅DJ自宅ラッパー生活を続けた。
大学3年はそんな生活であっという間に過ぎた。



2000年7月に初めてのライブを敢行!バンド名はZIGUMO

場所は地元新横浜のライブハウスBells。

普通にライブハウスに行ってデモテープを渡して普通のブッキングライブ。

他の出演者つまり対バンのバンドもそんな感じで出演するから誰も知り合いではない。

自分の友達だけでも30人以上はきてくれた。 念願の打ち上げもして最初の夢は叶った。

しかしZIGUMOは長く続かなかった。

自分はイケる!と思っていたが、ライブが終わると燃え尽きたのか練習に身が入らなくて、ライブ終わったらカバーをしようと言ってレイジアゲインストザマシーンの曲をカバーしてスタジオに2~3回入ったが、当時大学四年生でもあり、自然消滅。


しかし、ラップは続けたMTR(マルチトラックレコーダー)を購入したので簡単なデモテープを作った。

YAMAHAシーケンサーも買ったので簡単な打ち込みトラックも作った。

当時のfuga A.Oは大学四年生だったか就職活動などせずに自宅でこそこそとリリックを書いたり、トラックを作ったり、DJの練習をしたりしていた。


そんなある日、記憶は曖昧だが2000年の年末かな?にDJイベントを大学の友達と主催する事になった。このイベントはRelaxといってオールジャンルイベント。ハウスやトランス、パンクDJもいるイベントだった。


場所はもうないが渋谷のシュガーハイ。
自分はDJ赤鬼 として出演する事に!

緊張と家の機材しか使った事のない不安感と素人感で2曲目に繋ぐ時に音の出ないトラブルなどもあった。
その後持ち直してプレイしたが、やはり下手。


出演が決まった時に自分はDJタイム中に最後の曲でインストをかけてラップライブしてやる!と思っていた。


そしてDJの最後の1曲でインストをかけ、ラップライブを敢行!下手なDJプレイは取り返したぜ!と勝手に思い込んだ。
笑っちゃうね

 
何はともあれ、これが初めてヒップホップのライブをした瞬間だった。


そしてその頃、多分2000年末か2001年1月に地元の友達からバンドに誘われた。

中学時代からの友達ツジ、バンドメンバーは何と中1の時にボコボコにされたヒデ兄弟(ブログにも書いてある)。

このバンドはパンクバンドでHi-STANDARDグリーン・デイのカバーバンドだった。
バンド名はlunchbox(ランチボックス)



ランチボックスのライブは一回だけツジの誘いで見に行った事がある。
その縁でZIGUMOライブにもきてくれたのだった。

そのバンドからの誘い、当然受けた。

オリジナル曲もやるって言うし、バンドの楽しさは知っているからカバーも受け入れた。カバーしたバンドはBlink182

このバンドから3曲カバー。
ラップ入りオリジナル曲をセッションで作り1曲、ハードコアな演奏に適当なシャウトを乗せ、録音しておいて後々歌詞を当て込んだラップもなくほぼほぼシャウトしてる曲が1曲。


バンドメンバーはギターはツインギターでツジとヒデ、ベースにヒデの弟ヤス。
ボーカルは自分。
ドラムは仮メンバーのアニキ(名前は知らない)アニキは練習してたスタジオによくいた人で参加してくれた。結構な年上だったはず、ドラムはかなり上手かった。


そのアニキがブッキングをとってきてくれた、場所はライブ&バー海老名のシュガー、、(だったと思う)このライブに関してはフライヤーもマンスリーもなかったので正確な場所も日付も覚えてない。


この5人で5曲を練習して、ライブするぞ!と躍起になっていた。

しかしある日問題が起きた。。





■■続く■■




●●次回、乱闘事件~E-trader結成へ●●