fuga A.O ~HIP HOP BLUCE MAN~

ラッパーでハーモニカ吹きのfuga A.Oのブログ

fuga A.Oの半生 ~第14章~

fuga A.Oの半生

大学四年生の卒業間際にランチボックス(バンド)のライブは無事終了、そして解散となった。

もう同い年の友達は高校を卒業してすぐに働き始めた奴もいるし、専門に行った奴もしかり、しっかりと社会人になっている。

大学を卒業して立派な社会人にならなきゃならない年齢だ。

いやいや!立派な社会人にならなきゃならない年齢なんてない。

社会人になったらしっかり立派になれば良い、そもそも何が立派か人それぞれの価値観だ。

金だけ持っていれば立派か?と問われれば違うし、立派な職業だとしてもチャラチャラと女を騙したりしていたらもちろん立派じゃない。


フリーターだろうと立派な社会人だ。

と 言い聞かせてフリーターをやりながら音楽をやろうと思ったが、まず正社員をやりながら音楽をやってみよう!と思った。



音楽をできる限りやる!そしてその関係の仕事をしてやる!

そう大学四年の時にイキっていたので、就職活動はしなかった。


しかし、乱闘事件で流れは変わった。
東京に出て1人暮らしをしながら音楽をやるのが成功への近道だと信じていたので、引っ越し資金などで50万貯めていた、それが乱闘事件の賠償金を18万円支払った。

卒業旅行でも予想以上に使い東京へ引っ越しして仕事を探しながら暮らすほどの資金はなくなった。



まずは社会人と音楽の両立を目指そう。大学卒業式の次の日にタウンワークで決めた家電の配送会社を選んだ。

家からバイクで5分強、8時ー5時の25万ほどという条件だから。  


トラックの運転は絶対に何かの役に立つと思っていたので「やりたくない仕事」ではなかった。
面接はすぐに合格し翌日から正社員として勤務を開始、、 
まず8時出勤ではなく朝7時出勤だった、そして初日だが終わったのは22時くらい。

飯休憩もロクになく働きずめ、22時より早く帰る日はなく、0時終わりや2時終わりの日もあった。


音楽やるどころじゃない!ウツになるレベルだった。
不本意だったが辞めた。

四日目くらいで1人で配送に駆り出され、7日目に配達時間を大幅に遅れるヘマをして、会社とお客にひたすら謝り落ち込んだ。そして帰り際にやっと明日は休んでいいぞ!と言われた。つまりそれまで休みの日程も知らなかった。
聞くと他の社員皆そう、休める時に休むor限界がきたら休ませる、、それじゃ休日の予定も立てられない。

だから不本意だったが辞めた。根性なしが!と思われるのは不本意だったが辞めた。


ちなみに大学時代はバーガーキングを高校三年の12月から三年半くらい続けた、その間に引っ越し屋とピザのデリバリーを掛け持ちしたりした。

大学4年の春頃から洋服屋の店員に憧れ始めた、キングオブディギンMUROに憧れたからだ。


ラッパーで成功するには夜はラッパーで昼はショップ店員!それで東京で働けば絶対に成功できる!となぜか確信していた。


それで21歳の春頃洋服屋のバイトを探し、一つだけ受かった。
フレンチのアウトドアメーカーAIGLE(エーグル)ちなみに、ここでのバイトは大学生不可だったから、大学生ではなくフリーターってことで働いた。

ショップ店員の地味さ、、渋谷店や恵比寿店でも働いたけど東京でショップ店員やっててもあまり意味ないかもな、、って思った。しかしエーグルはストリートブランドじゃないからな!と言い聞かせ経験を積んだ、しかしエーグルでの仕事で苦手な接客は克服したかもしれない。



話しを戻そう。

大学卒業して一週間で早速無職となった。
とにかく働かなければ食べれない!

少しは蓄えがあったが、ぐずぐずしてる暇などなかった。

だからバイトでも良いから仕事を探した。やはり慣れている飲食店が良いので飲食店を探しラーメン屋でアルバイトをしながら音楽をやっていくと決めた。
 



■■■続く■■■