中学三年で受験生なので一応勉強した。
中途半端な男なので勉強したくないからしない!なんて男気ある事はできず、「勉強だってやるからにはマジ(本気)だぜ」的な男気もないので中途半端に勉強は普通より少しだけ上。
そんな学力なので真ん中の学校に受かった。学区の中では上から5番目だったかな。下からは5番目かな
高校の部活はバスケット部と決めてた。
スラムダンクがめっちゃ面白かったのとバスケット部かっけーモテそう!と思ったから。
では、バスケット部の話しを少ししよう。
もうね、自分と同じ考えの奴らが多い事多い事。バスケット部一年は最初20人ちかくいた。
最終的な話しをしてしまうと残ったのは7人。途中で抜けて戻ってきた奴が二人。
最初から最後までいたのはわずか5人。
その中の一人が自分。
なぜそんなに脱落者がいたか?それは練習がめちゃくちゃキツかったから。
1個下の後輩は8人入部したが、何と全員退部。ちなみにその後輩には有名バンドになった奴もいる、宮原と柳下がいるジャムバンド、、といえばわかる人はわかるだろう。
そんなキツイ部活をやり遂げたのは自分の自信にはなった、高校の財産といえばそれくらい。
部活のキツさは凄まじく、、まあ今考えれば高校の部活なんてあれくらいキツイのは当たり前なのかもしれないけど、、監督が「練習の厳しさは区で一番だ!」と豪語していたのだから、やはりある程度はキツかったと思う。
その監督も凄い奴で193センチくらいかな、全日本選手にも選ばれたという経歴の持ち主。
怒号罵声平手打ちは当たり前、平手打ちも掌低打ちに近いので脳ミソが揺れた。
脱水症状で倒れる奴、過呼吸で倒れる奴。
意識があるけど力が全く入らない状態の奴が続出してた。
中には完全に白目を向いて気絶してる奴もいた。
まあ そんな部活だったのに続いたのは、やはりバスケットが好きだったんだな。
結果としては地区予選一回戦突破が最高戦績、、俺らの代は弱かったー
自分も大してうまくならなかったし、、これは謙遜とかじゃなくて本当。
しかし三年間続けたのは自信になった。
さて話しを高校一年に戻す。
音楽にはまったのはちょうどこの頃
ヒップホップ特にウエッサイにはまった。
ドクタードレーのアルバム、スヌープドックのアルバムは本当によく聞いた。
一人だけヒップホップ聞くダチがいて本当に良かった。中学時代からのダチ。
今ももちろんマブダチ。
ヒップホップ以外にもボブマリーとかかなり好んできいてた。
長渕剛、ブルーハーツの過去作品も高校一年でかなりチェックした。
この頃はもちろん自分が音楽をやるなんて思ってもみなかった。
■■続く■■