fuga A.O ~HIP HOP BLUCE MAN~

ラッパーでハーモニカ吹きのfuga A.Oのブログ

fuga A.Oの半生 ~第21章~

少し話しがずれてラッパーの日常紹介になってしまったがE-TRADER時代の話しに戻ろう。

やはり一番の困難は金の工面だった。
自分達の出演ノルマ、初期E-TRADERは3人か四人いたので負担は軽かったし、誰かしらが客を呼べば良かったのでなんとか切り抜けた。

しかし、ノルマだけではなく車のガソリン代や駐車場代、当日のお酒や食事代など諸々かかる。

さらに仲間のライブなどにはなるべく顔を出した、お互いが助け合う精神を持っている仲間だとお互いのライブに行き来する事でノルマなどの負担が軽くなるからだ。


もちろんイベントに行くとチケット代は払うので月に数回行くと金欠になる事もあった。

 
2001年 7月にE-TRADERは結成して、その時は赤鬼ことA.Oはラーメン屋でバイトをしていた。

2002年10月頃かな?その頃に店の都合で勤務時間が変更になった。

ちょうどラッパーとしてE-TRADERの知名度が横浜で知れ渡った頃だ。

ラップ活動が忙しくなった事もあり、ラーメン屋の時間帯が変わってしまったので、ラーメン屋はやめた。

ラーメン屋をやめて日雇いフリーターになった。前日や2日前などでも仕事を入れられたり休めたりしたからだ。

おかげでライブはたくさんできた。

そしてE-TRADERに転機が訪れた!

2003年1月だったかな? 発売されるMix tapeに参加が決定したのだ!


Z-ONEが最初に雑誌にメンバー募集で載せた時に連絡があったラッパーが誘ってくれた。しかも2曲も。
本当に感謝した!


システムは買い取り式だが、HMVなどにもテープは並んだしミックステープの参加メンバーも相当豪華だった。

今も有名なサイプレス上野RHYMESTERのマミーディーの弟コーヘイジャパン。
お笑いコンビ麒麟のツッコミ担当田村の映画「ホームレス中学生」の主題歌を歌ったクリフエッジ。横浜ウエッサイのハイエナやノラも参加した作品だった。

買い取り式とはテープが出る前に金を払い、そこでレコーディング代やプレス代をまかない、6割引きなどでおよそ30枚ほど書いとるのだ。

これで定価でライブ会場や友達に売れば赤字にもならなくてギャラとなる。



駆け出しのラッパーには持ってこいのシステムだ。


今までE-TRADERはMTRを使い家で録音してデモテープを作っていたが、初めてレコーディングスタジオを使ってレコーディングに挑んだ。



■■続く■■